あっこちゃんの日記

タイガース、ゴルフ、野菜作り、トレッキング、Nゲージレイアウト、社交ダンス、合唱など手当たりしだい日記風に書いてゆきたい。
▼ ロストバッゲージ顛末記
[ 旅行 ]
7月9日から20日にかけて、JTBの北欧12日間の旅に参加した。
旅の3日目、11日ストックホルムからベルゲンへのフィンランド航空(FINNAIR)で事件は起きた。穏やかな飛行で11:25ベルゲンに着いたが、妻のワインレッドのスーツケースだけがターンテーブルに出てこない。早速、添乗員と一緒にクレーム受付窓口を捜す。やっと見つけた窓口の対応はふざけたもの。横にいる仲間とペチャペチャしゃべりながら、つっけんどんな対応。「すみません」の一言もなく、手荷物事故報告書と当座の日用品の小型ケースをもらう。迎えに来たJTBの現地ガイドがせかすので小型ケースの中身は見ないで、みんなが待っているバスに乗る。しかしこの小型ケース、ホテルで中身を見ると、髭剃りやXLのTシャツといった男用のものばかり。馬鹿にしている。
最初の観光地(グリークの家)では、観光もそこそこに保険会社(損保ジャパン)に電話を入れておく。かわいそうに、家内は昼食中にあわただしく日用品調達のためショッピングセンターで買出し。ふつうこういうケースは数日で荷物は出てくるはずなので、当座の衣類と化粧品を少しだけ調達する。これが間違いの元であった。結局、荷物は成田に帰着しても出てこず。下着だけでなく、上着やズボンの替え、パジャマ、小型キャリーバッグといったものまで必要になった。ところが、ベルゲンから先はハダンゲン、ソグネ、ガイランゲルの各フィヨルドめぐりで、15日にオスロに到着するまでは田舎ばかり。スーパー等は見つからず。やっと見つかった店もホテルに着いてからでは既に閉まっている。妻は同行の方々に化粧品など、色々お世話になったようである。
こちらは毎日荷物の到着を待ちわびているのに、FINNAIRから、荷物の探索状況報告は一切なかった。旅の終盤、荷物の探索状況をインターネットで検索できることを知り、ホテルでやってみるが、毎回 ”TRACING CONTINUES、PLEASE CHECK BACK LATER”の表示がされているだけである。荷物にはバーコードのタグがついており、荷物が何処にあるかくらい、直ぐ分かりそうなものと思うのだが---。
結局、荷物は最後まで戻らず、ヘルシンキ発のFINNAIRで、7月20日 成田に帰着した。成田の手荷物引き渡しのターンテーブルの前に行くと、みなさんから服部さんの荷物は出てきたと聞かされる。ロストバッゲージ対応で出迎えに来ていたJAL(FINNAIRの代行)の職員が荷物はベルゲンにあり、成田に向かっているとのミス情報を発したことによる。信頼できないのでFINNAIRに電話するとヘルシンキからベルゲンに送付したが、ベルゲンで受け取ったという記録がないとのこと。こういう状況下でも情報が正しく伝わっていないことに怒りを覚える。JAL職員から手荷物遅延証明書と手荷物遅延に伴う補償手続き関連の書類をもらい、釈然としない気持ちで帰宅した。
帰宅後も荷物が出てこないと旅が終わった気がしないねとお互い話しながら、面倒くさいが購入した日用品の領収書を整理し、手荷物遅延の申立書をFINAIRに送付する。手荷物の所在もわかってないのに遅延の申立書とは変な感じだが、まずは遅延の処理をし、一か月経ても出てこないときは紛失扱いの処理をするとのこと。ここまで来ると、紛失扱いになり50万円の保険金をもらった方がいいような気もするが、妻はパスポートのコピーなども中に入れているので、やっぱり荷物は出てきてほしいとのこと。
荷物が出てきたのは7月26日。スーツケースはニューヨーク旅行をしてきたようである。TSA対応バックなのに、鍵が壊され、中は下着までごちゃごちゃの状態で戻ってきた。幸い、バッグの中で紛失していたのはパジャマの上着だけだったようである。
7月31日にFINNAIRからの補償の結論が出され、現地日用品購入代金814ユーロ(クローネから換算)のうち442ユーロが入金された。国際運送約款で全額でないとのことで残りは保険会社に請求してくれとのこと。早速、残額を保険会社(損保ジャパン)に、補償申請をし、8月10日、残金が入金され、やっと一か月の長い旅が終った。
金銭的な補償はなされたが、精神的な苦痛は残ったまま。しかし、怪我なく、これくらいのことで終わったのは幸いだったと思うしかない。
海とは思えない鏡面のようなフィヨルド、地球温暖化を実感させられた氷河、まだ感動が残っているうちに、そろそろ写真の整理をし、簡単な紀行記でも書こうかと思う。

author : あっこちゃん(greattiger1) | 21:06 | comments(695) | trackbacks(126) |

▼ パルテノン神殿「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(完)」
[ 旅行 ]
13日間のツアーも観光は今日が最後である。永いツアーであったが、今思うとあっという間に最終日になった。特に後半の過ぎ去るのは早いこと・・・
前日、夕食をとったレストランから見たライトアップされたパルテノン神殿は素晴らしかった。そのパルテノンを目指し、ツアーの最後の観光に向かう。市内のそこここからはパルテノン神殿を垣間見ることができる。

まず、ギリシャ国会議事堂前で衛兵と記念写真を撮る。何故か記念写真は一人ずつに限るとのこと。
デモもなく平穏な国会議事堂を後に、パルテノンのあるアクロポリスの丘へ。

修復し今も使われているという円形劇場のわきを通り、アクアポリスの入口に向かう。入口から階段を上がり、しばらく歩くとギリシャ絶頂期の象徴であるパルテノン神殿の威容が現れる。あちこちで修復作業中なのは致し方ないところだが残念ではある。まじかに見上げるドーリア式の列柱は威圧的であるが、法隆寺の金堂と同じ、「エンンタシス」の技法を取り込まれ、安定感を感じる。

パルテノンをぐるっと裏側までまわってから、北側にあるエレクティオン神殿へと歩を進める。こちらはパルテノンと異なり、6人の女身柱に見られるように細部の彫刻が美しい。

最後の見学先としてパナシナイコスタジアムでバスを止める。第一回近代オリンピックの開催会場であったとのことである。ここからもパルテノンがよく見える。それを最後に、一路アテネ空港に向かい、帰国の途に・・・。


【ギリシャ雑感】
観光地はいずれもきれいで素晴らしかったが、アテネ市内はあちこちの塀や壁に落書きが見られ、財政危機と政情不安の影響であろうか、決してきれいとは言えない。この国はどうなるのかという気もする。もっともギリシャ以上の財政危機と政情不安を抱える日本人がとやかく言える筋合いではないが。
日本人と言えば有史以来同じ民族が同じ所に住んでいるが、ギリシャ人となるとそうもいかないようである。今のギリシャ人と古代ギリシャ文明を築いたギリシャ人とは全く別物だとの説があるらしい。真偽のほどはわからないが、汚い落書きを見ているとなるほどという気がしないでもない。

author : あっこちゃん(greattiger1) | 12:20 | comments(870) | trackbacks(0) |

▼ エーゲ海ミニクルーズ「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(10)」
[ 旅行 ]
ピレウス港より250人乗りPLATYTERA号でエーゲ海ミニクルーズに出発。乗船し、くつろいでいると、見た顔の人が何人か現れる。何と同じ住宅地のご一行様だ。住宅地の中で会うことはほとんどないのに、なんとギリシャで会うとは・・・。世の中悪いことはできないものだ(今回は悪いことはしてませんので念のため)。
カモメと追いかけっこをしながら、のんびり船から見える風景を楽しむ。家内は船内の「ホリホリ」とかいうショップでお買いものに忙しい。アテネの市街は政情不安のためか、落書きが目立ち決してきれいとは言えないが、対岸に見えるギリシャの街並みは素晴らしい。

最初の寄港地ボロス島に到着し、下船する。時計台のある丘の階段を歩いて登ると見晴らしがいい。ギリシャ本土とはわずかな距離しか離れていない。

昼食後イドラ島に寄港。のんびりと海沿いカフェや土産物屋を冷やかしながら散歩する。果物は原色系で美味しそうである。

記念写真を撮った風車小屋を描いた小さな油絵があったので購入する。
最後の寄港地はエギナ島。この島は一番大きいのでバスで移動。
途中の畑ではピスタチオがたわわに実っている。丘を登りきったところにアフェアの神殿が現れる。アルカイック期の代表的神殿とのことで、見晴らしが素晴らしい。

商売っ気満々の現地日本人ガイドはピスタチオを売りつけることに熱心で、歴史的いわれなどは全く説明してくれない。いわれはよくわからないが、アビオス・ネクタリオス修道院にも立ち寄る。

帰りは船内でのギリシャの踊りのショーにも参加し、リゾート気分のさわりを味わう。
お土産に買ったピスタチオは帰ってきてから食べた。まずくはなかったが実がやせていたのはいただけなかった。現地での試食のものはもっとぷっちりしていたのに・・・

author : あっこちゃん(greattiger1) | 14:55 | comments(371) | trackbacks(0) |

▼ デルフィ遺跡「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(9)」
[ 旅行 ]
カランバカからデルフィに向かう。デルフィは紀元前6世紀ころから、聖域として大いに栄え、アポロンの神託で有名なところである。4世紀には神託の効力?も失せ、破壊され、1500年間地下に埋まっていたものが、19世紀に発掘された。

博物館には発掘された遺物が展示されている。紀元前5世紀にシチリア島から奉納された青銅の御者像は保存状態がよく、まつ毛まで残っている。

アルカイック彫刻の代表と言われるクレビオスとビトンの二体の青年像はなんとなく法隆寺金堂の釈迦三尊像のアルカイックスマイルに通じる感じがしないでもない。

古代ギリシャ人にとって世界の中心がデルファイであるとのシンボルの「へその石」も展示されている。

博物館を出て少し歩くとアポロンの神域の遺跡群が現れる。アテネ人の宝庫はじめとした戦利品や奉納品の宝庫跡などの間を歩いて登るとアポロンの神殿跡に着く。このあたりで巫女が神託を受けたという。そして毎度おなじみの半円形のギリシャ劇場にたどりつく。さらに上には競技場跡があるとのことだが、暑いので登ることを断念した。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 11:46 | comments(9075) | trackbacks(76) |

▼ メテオラの修道院観光「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(8)」
[ 旅行 ]
テッサロニキに朝の6;00に到着。列車だと何時着くかわからないが、バスの方が早く着いた。日本では考えられないが、これがお国事情というものだろう。バスを乗り換え、メテオラ観光の基地の町カランバカまで移動する。道中、日本の自動車メーカーの看板をよく見るが電機メーカーの看板はめったに見ない。日本の電機メーカーの地盤沈下が実感された。
11:00にホテル着。まだ早いので、いったんホテルに入りシャワーを浴びてゆっくりする。
メテオラは屹立する大岩石群とその上に建てられた修道院が世界遺産に指定されている。大岩石群だけでもすごいが、その上に修道院というところがみそである。
昼食はカランバカ市内のレストランでいただく。レストランからはアギオ・トリアダ修道院が天空高くそびえているのがよく見える。

昼食後、いよいよ修道院めぐり。まず左手にアギオ・ニコラス修道院が現れ、続いて尼僧院であるルサヌー修道院が見えてくる。ここで下車し、記念写真を撮る。よくぞこんなところに修道院を作ったものだ。宗教の威圧的なパワーを見せつけられる。

続いて、今日入場するというヴァルラーム修道院が見えてくる。

到着後下車。荷物運搬用の滑車(人も乗れるとのこと)が動いていた。

結構急な石段を登り、修道院に入場。内部のフレスコ画はなかなかのものである。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 09:57 | comments(577) | trackbacks(2) |

▼ サフランブルからイスタンブールに戻る「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(7)」
[ 旅行 ]
アンカラ郊外のホテルからサフランブルに向かう。途中、トルコの典型的な農村集落がぽつぽつと現れる。街の中心にはミナレットがあり家屋はオレンジ色の瓦屋根が多い。

サフランの産地サフランブルに到着。サフランブルはオスマンの時代、交易路にあって、富を得た街の人々は競って大きな家を建てたとのことで、木組みの住居群が世界遺産として残っている。

街の中心のチャルシュ広場前のジンジ・ハマムという名のトルコ風呂(日本でのイメージより重厚である)のわきを通って、土産物屋が並んでいるショッピング長屋を散策する。のびーるアイスクリームにいれられる「らん?の根っこ」なんかが店頭にぶら下がって売ってある。おじさんたちは昼間からのんびりトランプに興じている。

途中、トルコの小学生の遠足の一団に出っくわす。トルコの子供たちはとにかく人懐っこい。家内はモテモテで、日本人だとわかるとますます寄ってきて、ハイポーズの連続。これも親日感情の表れであろう。

サフランボルからイスタンブールへ向かう車中、イスタンブールからギリシャへの寝台特急「フィリア・ドストリック」は欠航のため、バスでの移動と通告される。大雨で地盤が緩くなっているためとのことである。心なしか添乗員のほっとした雰囲気を感じる。平均年齢67歳の40人連れを大きなトランクを持って、寝台特急で引率するのはその苦労がしのばれるので、致し方ないところであろう。

イスタンブールに近づき、高速道路が渋滞していると、多くの物売りが道路上に現れたのにはびっくりした。日本では考えられないことだが、すべて自己責任の社会ではどうってことないことなのであろう。

夕食は本来乗車するはずであった駅のレストラン「オリエンタルエクスプレス」でいただく。
深夜のバス旅行は若い時のスキー以来だと思う。これも経験だが、平均年齢67歳には堪える。
トルコでの出国手続き、ギリシャでの入国手続きを経て、無事ギリシャ入国。トルコがEU加盟を認められていないため、それなりの重々しさであった。

【トルコ雑感】
アジアとヨーロッパのまさに境目「トルコ」、その地理的な要因のため、いろんな民族、宗教が覇権を争ってきた。結果として民族のるつぼであり、それらが混血しあいながらも、このような難しい地で現在も一つの独立共和国として、存続しているのは素晴らしい。いろんな要因があろうがトルコ共和国の父アタチュルクのなした「政教分離」をはじめとした数々の改革によるところが大きいだろう。
誰もがなんとなく親切でゆったりしている。今回は強行軍の旅であったが、今度はゆっくりと旅したいものである。

author : あっこちゃん(greattiger1) | 10:57 | comments(370) | trackbacks(9) |

▼ カッパドキアを満喫「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(6)」
[ 旅行 ]
まず、トルコ絨毯屋に立ち寄る。なるほど肌触りは素晴らしいいが、高すぎて手が出ない。つきまとわれて逃げるのに苦労したが。ここは冷やかしだけで終える。
カッパドキアには多くの地下都市があるというが、その中のカイマルク地下都市を見学する。地下8層からなるというが、内部は迷路のようになっており大きさは実感できない。粉ひき臼、家畜小屋、台所など生活の香りが残っている。常に外敵からの侵入におびえて暮らしてきた民に比べると昔も今も日本はなんと平和ボケなんだろうか。

地下都市を跡にすると、車窓からはグランドキャニオンのような渓谷と奇岩群が見えてくる。最初はスリーシスターズだ。我が家の三姉妹もこのように永く仲良くやってほしいものである。

ラクダ岩の前で記念写真を撮り、パジャパーへ。これぞカッパドキアというキノコ状の奇岩群が並んでいる。

洞窟レストランでの昼食後、ウチヒサールへ。住まい跡の大きな岩山には多くの入り口や窓がみられる。迫害から逃れて移住したキリスト教徒が作った岩窟教会が集まっているというギョレメの谷を車窓から眺め、奇岩群を堪能し、アンカラへ向かう。

途中、大きさが琵琶湖の2倍、水深が2mで、死海と同じ35%という濃度の塩湖トゥーズ湖に立ち寄る。湖面がピンク色に見えるのは潮が固まりつつあるからとのことで、湖岸を散策すると塩が固まりつつあるのがよくわかる。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 11:08 | comments(97) | trackbacks(9) |

▼ パムッカレからコンヤヘ「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(5)」
[ 旅行 ]
パムッカレとは綿の城の意味。石灰を含む温泉水が長い年月をかけて綿の城を作り上げた。石灰棚の上に、古代の温泉保養都市ヒエラポリスの遺跡群が乗っかている。ということで文化と自然の両方の世界遺産である。

ピエラポリスの遺跡群に中を少し歩くと、石灰棚の上に到着する。朝一番乗りで、石灰棚へ裸足になって入る。今は温泉水が涸れてきて、石灰棚の一部にしか水がないのは残念であるが、見る方向により、たたえられた水は水色になり、美しい。

流れている水に足を浸すとあったかい。しばし足湯でリラックスする。
ヒエラポリスはローマ時代、特に栄えたようで、ローマ時代特有の円形劇場など、多くの遺跡が発掘されている。

水不足のパムッカレからコンヤヘ向かう。途中、けしの花の畑が多い。白い花が大部分で、ポツポツと青紫色の花が混じっている。医薬用のモルヒネをとるため認可されているとのこと。

けし畑からサクランボ畑に変わると、セルジュクトルコの首都であったコンヤに到着。イスラム神秘主義のセマ(施舞の儀式)で有名なメヴラーナ博物館を見学。信者と我々のような観光客が入り混じり、混雑の極みである。イスラム神秘主義教団を創設したルーミの霊廟で現在は博物館として聖人たちお棺や、セマ関連のグッズが展示されている。踊り子はくるくる回り踊りを踊っていると忘我の状態で神の世界に入るとのこと。恐山の巫女みたいなものかと言えばおしかりを受けるか?
author : あっこちゃん(greattiger1) | 11:05 | comments(112) | trackbacks(0) |

▼ プルサからパムッカレへ「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(4)」
[ 旅行 ]
6:45ホテル出発。イスタンブールからフェリーでマルマラ海を横断し、一挙ブルサへ。一組の老夫婦が置いていかれる。何とか間に合ったが40名の引率は大変だ。
ブルサはオスマントルコ最初の首都で、緑のブルサと言われるだけあってさすがにきれいな街である。
まず、ウル・ジャミイへ。ウルとは大きいという意味なのだが、いわゆる大きなドームがないため建物は目立たない。1400年代はまだ大きなドームを作る技術がなかったため、とのことである。
現代では建物の外にある「清めの泉」が建物内部の中央にある。内部はアラベスク文様が壁画のように書かれているのが目につく。偶像崇拝禁止に対するせめてもの抵抗か?

ル・ジャミイを出て、横の絹製品のバザールを覗く。イスタンブールのバザールなんかより安くて面白い。
次にインシェル・ジャミイへ。このジャミイもオスマン初期のスタイルで、ドームはなく、清めの泉が中にある。内壁が青緑色のタイルで覆われていることからグリーンモスクと言われている。

グリーンモスク横のレストランで昼食にイスケンデルケバブをいただく。ケバブは本場のものなので美味しかったが、モスク横なので、アルコールは置いてないのが残念であった。レストランからの帰りブルサ名物のマロングラッセを購入。30粒ぐらい入って、17リラは安い。お味は帰ってのお楽しみ。
昼食後、一路パムッカレヘ。455kmの長距離ドライブ。オリーブ畑、小麦畑、牧草地ののどかな田園風景を楽しむ。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 09:35 | comments(409) | trackbacks(0) |

▼ イスタンブール市内観光「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(3)」
[ 旅行 ]
朝8時出発の強行軍。まずはブルーモスクへ。スルタン・アメフト一世ジャミイが正式名称である。
ドームの大きさと6本のミナレット(尖塔)が自慢の現役モスク。内部の装飾がブルー基調であったから、ブルーモスクと言われたとのことだが、特にその印象はない。内部は照明用の鉄枠が頭の上あたりにあり、美観を損ねっている。ステンドグラスもたいしたことない。とにかく大きさが自慢である。

ブルーモスクから歩いてアヤソフィアへ。こちらはビザンティン時代には今のバチカンのサンピエトロ寺院にあたる大聖堂であったとのことで、ビザンティン美術の最高傑作といわれる所以を垣間見ることができる。残っている聖母子などのモザイク画はイスラムによる破壊の損傷が多くみられるのが残念である。

アヤソフィアから歩いて地下宮殿に入る。宮殿と言われているが、実際は地下貯水地である。6世紀に今の形になったといわれているが、立派な貯水池である。中に入るとオペラ座の怪人のすみかを思い起こさせる。奥へ行くといわゆるメンドーサの首に出くわす。二本の柱の土台に使われている首は逆さ向きと横向き。四天王の下で踏みつけられている蛇鬼のように意味のあるものなのか?それともどこかの廃墟から持ってきた首が単に土台として座りが良かったからなのか?今も論争が続いているとのこと。


その後、有名なグランドバザールに廻る。アメヨコを大きくした感じ。甲子園の半分ぐらいの広さに4400の店がひしめきあっている。高いとの予備知識であったので、冷やかしに徹する。

午後、トプカプ宮殿に入る。スルタン(国王)の住居であり、政治の中枢でもあったところ。呼び物はハーレムと86カラットのダイヤである。
日本の大奥にあたるハーレムは、華美さやきらびやかさを感じさせない。女奴隷たちの逃亡を防ぐため、あるいはスルタン位争いに敗れた皇子たちをとじこめるためであろうか、窓という窓は鉄格子でふさがれており、陰惨な感じが強い。スプーン売りのダイヤと言われている86カラットのダイヤはすごい。家内に勝ってやろうと思ったが、売ってくれそうもないのであきらめる。

もう、夕方5時過ぎになっていたが、さらにボスポラス海峡クルーズに向かう。このハードスケジュウールが今回のツアーすごいところである。少し下痢気味であったので、乗船までの途中で、名物の「のびーるアイス」屋が威勢よくやっていたが食べるのを我慢する。

船内でのビールも我慢し、ファンタオレンジにする。おいしかった。
地図上ではほんの線でしかない海峡であるが、意外に幅は広い。快晴の中でクルーズはすがすがしい。伝説の乙女の塔を最後にクルーズは終わり。

夜、ベリーダンスのショーを見ながら夕食をいただく。腰ふりの少な目の一人ハワイアンといったところか。腰の肉つきがふくよかめの方がいいとのことがなんとなく分かる感じがした
夜遅くホテルに着く。疲れきってすぐに寝る。強行軍だ!
author : あっこちゃん(greattiger1) | 13:51 | comments(590) | trackbacks(0) |

▼ ツタンカーメンの秘宝「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(2)」
[ 旅行 ]
今日はカイロ市内観光。まず、エジプト考古学博物館へ。ツタンカーメンの秘宝とミイラで有名だ。
エジプトが繁栄した5000年前からなんと3000年間もの長い間の古代美術のエッセンスが所狭しと並んでいる。
圧巻は何と言ってもツタンカーメン秘宝群だ。よくぞ3300年間、盗掘もされず残っていたものである。4重の巨大な逗子の中に石棺、さらに3重の人型棺、そのなかに黄金のマスクに覆われていたツタンカーメンのミイラが入っていたという。これらを発見した時のハワード・カーターの感激はいかばかりであろうか?ミイラと一番外側の人型棺は今も王家の谷に葬られているので見られないが、それ以外の副葬品はすべて見ることができた。ミイラ化する時の臓器を入れるカノプス坪の淵には生々しい血の痕が。数千年の時を経ているとは思えない。この感激の映像を持ち帰りたい思いが強いが、残念ながら写真を撮る事が出来ない。そこで、日本語版があった「ツタンカーメンの秘宝48選」を購入し、後で感激の余韻に浸ることにした。

続いてモハメドアリモスクへ。一言でいって美しいとは言えないし、美術的価値は感じない。

日本人にはモハメドアリといえばボクシングしか思い浮かばない。モスク内は今も礼拝に使用するためであろう、多数の電球が針金のようなもので地上数メートルのところにぶらさげられており、美観を感じない。イスラムのモスクはヨーロッパのドーモと比べ、イスラムが偶像崇拝を禁止しているからとはいえ、美観的には劣ると言わざるを得ない。

夕方のフライトでイスタンブールへ。エジプト航空はアルコールの機内サービスがない。成田からカイロの時は簡単にアルコールを機内に持ち込めたが、カイロの場合は厳密にチェックされるとのこと。免税品だとOKということなので、ワインを持ち込むことを考えたが、ワインオープナーを持ってきてないのに気づく。そこで免税店ではないカフェテリアで、オープナーなしでも開けられる500mlのワインを購入。案の定セキュリティチェックで引っかかる。領収書を見せてチェックイン後空港内で買ったのだからいいだろうという感じのことをつたない英語で言うと、なんとなく免税品でないから駄目だと言っている感じ。こちらは免税品のつもりで買ったからと主張する。やり取りを何回やった後やっと通してもらう。これで一段落と思って待合室で座っていると、2回もセキュリティチェックのおじさんが来る。しつこいたらありゃしない。同じようなやり取りを繰り返しやっとの思いで機内への持ち込み成功!!ああ疲れた。

【エジプト雑感】
たった二日間の滞在でエジプトをどうのこうのとは言えないが、「数千年前にピークであった国家の今日の・・・・・」というのが率直な感想である。おそらく砂漠化はどんどん進んでいるので、とにかく街がほこりっぽくて汚い。木々の葉っぱは雨が降らないからであろうか、砂ぼこりに覆われ、道路はゴミだらけである。街では子供が仕事をしているのが目立ち、おじさん連中は居煙草屋で水煙草をふかし恍惚の表情である。



MS 明朝 (本文のフォント - 日本語)
author : あっこちゃん(greattiger1) | 14:01 | comments(738) | trackbacks(0) |

▼ ピラミッド三昧の初日「エジプト・トルコ・ギリシャ紀行(1)」
[ 旅行 ]
エジプト、トルコ、ギリシャの13日間ツアーに参加した。

夜、カイロ着、空港からギザのホテルに向かう。途中の道の汚いこと、ゴミだらけ。水煙草をふかし、恍惚の表情の立派なひげのおじさんたちをたくさん見かける。ここはイスラムの国、居酒屋ならぬ居煙草屋といったところか?

昨夜遅くホテルに着いたのに、7時15分ホテル出発の超ハードスケジュール。時差ぼけと睡眠不足でしんどいが、そんなこと言っていられない。バスがちょっと動くと、もうピラミッドが目の前にどでかく現れる。
いわゆるギザの三大ピラミッドである。
クフ王、カフラー王、メンカフラー王の時代は4500年前の古王国時代の最盛期だったとのこと。砂漠の中というより町の横にあるという感じ。言い換えると町の横が砂漠ということ.

よくこんな砂漠の近くで5000年も前から3000年間もの長きにわたり古代文明が栄えたものだ。
まず、一番大きいクフ王のピラミッドの前に立つ。やっぱりでかい、雄大さに言葉が出ない。

ピラミッドのなかに入ってみる。少し行くと、高さ1mちょっとの狭い通路になる。この通路を中腰で登ってゆかねばならない。注意していても頭を打つこと三回。さらに長い大回廊を息切らせて登ってゆく。
平均年齢67歳のメンバーはみんなきつそうである。やっとの思いで王の間にたどりつく。あるのは蓋のない石棺だけである。中の豪華な埋葬品すべて盗掘されたのであろう。こんな目立った墓を造ったのでは盗掘してくださいと言っているようなもので、その点、後の王家の谷の墓の方が盗掘に対してはいろいろ工夫がされているようである。
続いてクフ王の息子のカフラー王、またその息子のメンカフラー王ピラミッド、有名なスフインクスと廻る。息子は親父の墓より小さくしているところがいじらしい。

ピラミッドの見えるレストランで昼食後、ダハシュールの赤ピラミッド,屈折ピラミッド、サッカラの階段ピラミットとピラミッドの進化とは逆の順に見学する。箱形の墳墓から階段、屈折とピラミッドへの進化がよく理解できた。

途中、古代エジプトの最初の首都メンフィスに立ち寄り地震により倒れたエジプト最強のファラオと言われたラムセス二世の巨像を見る。映画「十戒」のユルブリンナーがラムセス二世の役だったことを知る。もう一度十戒を見てみようかな・・・。

author : あっこちゃん(greattiger1) | 13:20 | comments(436) | trackbacks(0) |

▼ 興奮!感動!宇宙の神秘「皆既日食」
[ 旅行 ]



奇跡の瞬間を見ることができました。
計画年休で中国杭州の西湖の堤。
ダイヤモンドリンクもプロミネンスもコロナもくっきりみることができた。
トカラ列島は大雨、上海も雨、中国の他の地域も雨だったとのこと。
なんという奇跡か!この興奮!感動!には言葉が出ない。
オリンピックで金メダルを取った後の選手の気持ちはこんなものか?
そう、タイガースが優勝したときの気持ち???
もうすっかり、「皆既日食症候群」に取り付かれてしまった。
写真は上から「ダイヤモンドリング第二接触」「コロナ皆既状態」「ダイヤモンドリンク第三接触」です。

author : あっこちゃん(greattiger1) | 22:24 | comments(104) | trackbacks(1) |

▼ 京都祇園祭
[ 旅行 ]
先週、年休を取って祇園祭を観てきた。学生時代に祇園祭をダシに使って宵山をチラッと見て以来、40数年ぶりの祇園祭である。
祇園祭のクライマックスはなんといっても山鉾巡行である。一般に祭りのメインイベントは夜行われるが、山鉾巡行は酷暑のまっぴるまに行われる。山車(ダシ)は山と鉾に分類される。鉾には数十名のはやし方や音頭とりが乗り込んでいるので極めて重いが、その重量は実測されたことはない。一般に経験測から十トン以上と言われていた。ところが今年初めて、それに科学の目が入り、実重量測定が行われた。最大の月鉾が11.88トンと言うことで、予想値が正しいことが証明された。
当日は朝九時前から午後二時過ぎまで32基の山と鉾が都大路を練り歩く。炎天下酷暑の京都で32基全部見るのは体力が必要であるが、何とか全部見た。
圧巻は交差点を曲がるときの「辻回し」である。鉾には操舵機能がなく、直進しか出来ない。それを無理やり力ずくで90°回転さすのである。交差点にかかるとあわただしく各鉾は準備作業にかかる。道に割竹を敷き詰め、その上に水をかける。多分滑りやすくしているのであろう。準備が終わると、音頭とりの掛け声で曳き子がいっせいに回転方向に引っ張る。大きく回転すると拍手喝さい、ぜんぜん動かないと観衆のため息。だいたい3回から6回のトライで90°回転が完了する。まさに非合理の集大成、これぞ祭りである。
山鉾は巡行が終わり、それぞれの町内に帰ると早速解体作業にかかる。翌日は何処に行っても山鉾は見られず、「後の祭り」と言うことになる。
計画年休のお陰で祇園祭を堪能することが出来た。それぞれの山鉾の美術工芸的価値は当然であるが、日本が世界に誇れる文化の一つであることを改めて実感した。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 19:56 | comments(1038) | - |

▼ 薬師寺と新薬師寺
[ 旅行 ]
金曜から日曜にかけて久しぶりの奈良。金曜は中学の同窓会。90名中、40名出席で、よく集まった。今年は還暦の歳であり、既にリタイアしたもの、まだまだがんばっているものと千差万別の感。東京にいるものは毎年会っているのでよくわかるが、関西在住のものはたぶん道であってもわからないであろう。しかし話しているとだんだん思い出してくる。皆、まちがいなく歳をとっているのは如何とともしがたい事実。
土曜は奈良万葉CCで同窓会のゴルフ。こちらは20名出席。東京から4名出席し、全員入れ込んでいたが、関東の広いコースに慣れた小生にとって、こんな狭いトリッキーなコースは苦手。OBを2つ出し、グロス91と惨敗。

日曜はレンタカーを借りて、奈良観光と入院しているお袋(90歳)のお見舞いの予定。家内と長女が合流の予定時刻10:33(奈良駅着)まで時間がある。正倉院展は3時間待ちとか聞いていたので諦め、新薬師寺に行くことにする。細い路地のような道を抜けて、新薬師寺に8:30頃着。掃除中のおじさんに聞くと開門は9時とのことなので、近辺を散歩する。昔と変わっていない。一番に入場、国宝の本堂は何の変哲もない入母屋の建物であるが奈良時代から今日まで残った建物としてのなんともいえない安定感がある。昔は大きな七堂伽藍を持っていたそうで、今の本堂は当時の食堂とのことである。正面からではなく左横から中に入る。中も昔と変わっていない。正面中央に一木彫としては極めて大きい薬師如来坐像、それを有名なバサラ大将をはじめとする十二神将が取り囲んでいる。東寺講堂の立体曼荼羅は建物に比べ仏像のの大きさと数に圧倒されるが、こちらは、建物の大きさにマッチした安定した空間を提供している。多分創建時、本来の金堂にあった頃は薬師如来の左右には日光・月光菩薩を従え、それを取り囲む十二神将がくりなすパノラマはもっと壮観のものであっただろう。国宝があふれている奈良であるので、参拝客もパラパラであるが、これが関東にあれば、毎日朝から参拝客の行列といったとこだろうなと思いつつ寺を後にする。
 奈良駅で家内達を拾い、一路薬師寺へ。レンタカーにもナビがつき、便利になったものだ。昔はぽつんと残った東塔と朽ちた土塀の印象が強かったが、今は高田好胤さんのお写経勧進による見事な集金力により、白鳳大伽藍が復興している。新薬師寺が残った建物をそのまま大事に保存しているだけなのとは対照的である。薬師寺の復興大伽藍も良し。新薬師寺のひなびた伽藍も良しといったところか。新しい西塔を見ているとお坊さんのお話(説教)があるとのことなので、金堂の中へ入る。若いお坊さんが高田好胤さんばりのユーモアを交えた説教をやっている。なかなかのものであるが、好胤さんがあまりにうまかったので大変だろうな思いつつ聴いていると、最後はやはり写経の進めであった。こちらの薬師如来は脇侍に日光・月光菩薩を従え、金銅製の薬師三尊像となっている。白鳳時代のもので、新薬師寺のものより時代が古く、顔の表情はまさに飛鳥時代(法隆寺)と平安初期(新薬師寺)の中間に位置するといった感じである。今回は薬師如来が座っておられる須弥檀をよく観察することが出来た。ギリシャ、ペルシャ、インド、中国、それぞれの文様が示され、シルクロードによる当時の東西文化交流がよく示されている。小学校が法隆寺の近くの斑鳩の里、中学校が東大寺の中と、奈良に育ったが小さいときはそのありがたみを感じなかった。いいとこで育ったんだなあと実感しつつ一番の目的であるお袋の入院している病院へ。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 20:30 | comments(574) | trackbacks(182) |

▼ 北海道旅行4(8/18〜8/20)
[ 旅行 ]
朝からさらに強い雨。雨にたたられた旅行。どうも北海道の今頃は天候が悪い確率が高いらしい。足寄の松山千春の家を見てから道の駅にある千春ギャラリーに立ち寄る。千春の実物大写真の前で記念写真を撮りミーハーを実践。一路札幌(三女の嫁ぎ先)を目指すが、途中結構込んでいて渋滞に巻きもまれる。千春がコンサートで言っていたように中途半端な高速道路(道中の一部が高速になっている)で、結構時間がかかることを実感。まあー北海道には高速はいらないと思うが!。レンタカーの返却予定時刻の14時ぎりぎりに札幌着。娘に車で迎えに来てもらい、一才ちょっとの孫と車のなかで再会。前にあったときに比べ人見知りは若干改善。夜、娘夫婦、お母さん、おばあさん、おじさん一家らと娘の家で一緒に飲む。持ってきていたDSLiteを見せると、貴重がられて、皆夢中に脳テスト。大体80台ばかり。
 翌日、孫を連れて円山動物園へ。駒大苫小牧の決勝のせいか、すいている。厚太(孫)は動物を見ることよりも歩くことのほうが面白いようで、スロープを行ったり来たり繰る返しては喜んでいる。夜、何故だか厚太は異常な興奮状態。両親は寝てしまっているのに、我々夫婦の所に様子を見に来てなかなか寝ない。俺に似て夜深し型なのかな?
 翌日(8/20)はいよいよ今回の旅行の最終日。千歳空港まで娘夫婦に送ってもらい仙台空港へ、何故仙台かというと、今回はマイレージ利用のけちけち旅行。予約が取るのが遅れたので千歳から羽田のフライトが取れなかった為、仙台経由としたもの。仙台から在来線でのんびり蓮田までもいいかなと思ってのもの。仙台空港からタクシー(1700円)で館腰駅まで行き、そこから在来線乗り継ぎ。のんびりした在来線のた旅を予想していたのに、今日は盆休み最後の日曜の為なのかどの列車も込んでいる。お疲れ気味で18時頃自宅に到着。雨ばっかりの旅行でした。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 14:18 | comments(705) | trackbacks(14) |

▼ 北海道旅行3(8/17)
[ 旅行 ]
天気予報どおり朝から雨。今回は天気運悪し。出発の時、宿の人から、雌阿寒岳はに噴火の為入山禁止との話を聞く。野中温泉に電話で確認したがやはり禁止とのこと。残念!!雄阿寒岳に方針変更したが、雨やまず。途中立ち寄った硫黄山、摩周湖共に雨は強く。特に摩周湖はまったく何も見えず。雄阿寒岳の登山口に来ても雨はますます強くなる。新調の雨具のテストと、雨天歩行の訓練を兼ね、滝口(登山口)から2合目(実質五合目とのこと)ぐらいまで上ることとする。太郎湖、次郎湖を経て、一合目にたどり着いた時には、雨とためというより、中からの汗で体じゅうびっしょり。一合目までたどり着くのに、こんなに遠いのは初めての経験。途中引き返そうとする家内をなだめすかして登山を続けるが、ガイドブックに書いてある「阿寒湖を木々の間から臨み見る」という場所は一向に現れず。1.8合目(?)あたりで引き返す。下山後、カッパを脱ぎ、阿寒湖半へ。ネイチャーセンターで、持参のおむすびをいただく。その後、遊覧船に乗り、まりもを見る。おととし泊ったニュー阿寒ホテルを右目に一路野中温泉へ。オンネトーに立ち寄るが、近くの湖面が見えるのみ。おととしのきれいな景色を思い描きながら野中温泉着。早速温泉へ。露天風呂に浸かり、横を見るとのつぃたての向こうには東屋風の屋根付露天風呂もあるのでそちらに入ろうとする。そうすると屋内のほうから家内の「お父さんそこはだめよ」の声が聞こえる。どうも女用の露天風呂であったようである。簡単なついたてしかないのでOKと思ったのだが。泉質は硫黄泉だが川湯のように強くはなく、まったりとしていて良い湯である。素朴な部屋食をいただいた後、もう一度入浴し就寝。天候はもうあきらめた。翌日も雨とのことなので、松山千春の家によって札幌に向かう方針とする。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 12:03 | comments(413) | trackbacks(6) |

▼ 北海道旅行2(8/16)
[ 旅行 ]
雨を気にしながら起きる。釧路だけはずっと雨の天気予報。釧路駅からしれとこ号(普通列車)に乗って釧路駅へ。車中、広島から一人旅という若者と同席となる。朝飯をたくさん食べたので、断ったが、無理やりキリンののどごし生をご馳走になる。話をしながら塘路駅に着。駅のコーヒーショップのおじさんに、展望台まで歩くか、カヌーに乗るかを相談。展望台までは時間的に無理とのことで、カヌーに乗る。新撰組に出ていた山本何某を乗せテレビ(BS)で放映される予定とのガイドのカヌーに乗船。細岡までのカヌー下り。家内はずっとまじめに漕いでいたが、小生は手抜き。下りなんだからほうっておいても進むはず。途中、人がいなくて、人工物が全くない風景はのどかそのもの。ヤチダモ、ホザキシモツケなど、色々なな木や花の名前を教えてもらいながら、癒しのひと時をすごす。2時間弱で細岡着、下船し、細岡展望台から釧路湿原を一望する。まずは絶景。その後、釧路湿原駅からノロッコ号で釧路駅まで行く。釧路駅前の和商市場で勝手ドンを食べる。おいしかったが、家内は期待ほど出ない由。その後、ジャパレンでレンタカーを借り、温根内ビジターセンターへ、花の名前を研究しながら温根内をトレッキング。しかし、途中で雨が降り出し、引き返す。駐車場から一路川湯温泉御園ホテルへ。チェックイン後まずは温泉へ。草津温泉に似た泉質であるが、さらに強い硫黄分を含んでいる感じ。目に入ると沁みる。しかし、皮膚病とかには効きそうな感じ。夜はレストラン(食堂?)で食事。タラバガニは食べ放題で、価格の割にはまあまあの食事。食事のときなべのふた(プラスティック製)を素手でつかみ、親指の指先を軽く焼けど。最近こんなチョンボと物忘れが多い。安い泊りだから陶器でないのかなあ、と嘆きながら食事。指がイタイイタイ。部屋に戻り、TVで翌日の空模様を気にしながら飲み直し。明日は今回の旅行のメインイベントである「雌阿寒岳登山」なのだがもっと天気が悪くなりそうないやな予感を感じつつ就寝。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 17:24 | comments(867) | trackbacks(11) |

▼ 北海道旅行(8/15)
[ 旅行 ]
初めてのプログです。まずワードで書いていた夏の旅行の日記から公開です。少し古いですが。
毎年恒例の北海道旅行。孫に会いに行くのと旅行が目的。去年は10月大雪山旭岳に登り、天気もよく紅葉も最高で、感激したが今年はどうかな?
15時丁度発のANA釧路行きに乗る。滑り込みセーフが好きな私と、余裕を持っていないと心配な家内ではいつも家を出る時間でもめるが、今回は家内の意見に合わせたので、一時間以上も前に羽田に着く。釧路空港からバスで一路ロイヤルインへ。安い割にはきれいなホテルで部屋もまあまあ。チェックイン後、炉辺焼き発祥の店である「炉辺」を探すがなかなか見つからない。やっと見つけたが、たくさんの待ち行列。家内は並びたがったが、同じガイドブックに乗っている「炙り屋」にはいる。ほっけ、さんまともに期待ほど脂が乗っていなくて、そのほかはまあまおいしかったが、家内はぶつぶつ。家内が言うとおり並べばよかったと反省する。旅の基本は時間をあせらないこと。
author : あっこちゃん(greattiger1) | 15:35 | comments(352) | trackbacks(80) |





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